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【アラベスク】  第14章 kiss



第2節 本気の証 [9]




 見上げる瞳は、これ以上ないくらいに深く、暗い。吸い込まれると言うよりも、呑み込まれてしまいそう。美鶴は全身が凍るような錯覚に陥った。
「この期に及んでもまだ、僕たちが軽い気持ちで君に声をかけていると思っているの?」
「そんな事無い」
「そう? でも君の態度からは、そう思われているようにしか思えないよ」
 ペロリと、口の端を舐める。ギュッと引き締める仕草に、逆に瑠駆真の瞳が穏やかに笑う。
 可愛い。
 いつも突き放したような態度しか見せないだけに、劣勢に追い込まれた時の表情が可愛らしく思える。
「これだけぶつけても、君はわかってはくれていないようだね」
「そんな事はない」
「君の否定は聞き飽きたよ」
 言って、今度は唇全体に舌を這わせる。
「いいよ、今日は時間もたっぷりあるし」
 今度は逃さぬよう、奪っていく。それでも美鶴は抵抗する。
「時間って何だ。やめろっ」
「ねぇ、聡には何をされたの?」
「そんな事」
 思い出したくもない。
「どんなキスをしたの?」
「やめろ」
「キスだけ?」
 言いながら、懐疑がどんどんと膨らんでいく。
 今までに聡は、何度美鶴の唇を奪ったのだろうか? ファーストキスと、先程だけだろうか? それともそれ以外に?
 抜け駆けはするなと僕を罵りながら、僕の方がしっかり出し抜かれていたというワケか。とんだお(わら)(ぐさ)だ。
 僕の知らぬところで二人は。
 悔しさと虚しさと、瞋恚(しんい)懸想(けそう)。いろんな感情がグチャグチャに混ざり合って、本人ですら自分の気持ちがわからない。
 自分は何をやっているのだ。
 この場に不似合いなほどの冷静な自分が、冷ややかに自分を見下ろしている。
 お前、何をやっている? これは犯罪だぞ。
 だが、それに答えるだけの余裕はない。
 負けている。負けている。
 聡と比べて自分が不利だという事はわかっていたが、これほどまでに劣勢だとは思わなかった。
 自分は劣っている。聡よりも数段劣っている。それは自覚しているつもりだった。自分は聡のように幼い頃の共通する記憶も持っていないし、男らしい魅力もない。力強さや頼り甲斐もない。だが金本聡は、こんな僕には無い魅力を、たくさんたくさん持っている。
 激しくて情熱的な男。そんな奴が、キスだけで果たして満足するだろうか?
 白い胸元に沁み付くような紅色が目障りだ。
「ねぇ、聡とはどんなキスをしたの?」
「っ!」
「美鶴はもっと優しい方が好き?」
 無言で抵抗する姿が瑠駆真を煽る。
「それとも、もっと」
 言いながら舌を押し込む。
 美鶴の息は完全にあがっている。全身には疲労。敵うはずがない。
 好きだよ、美鶴。
 誰にも渡したくないという想いは、醜いのだろうか? わからない。美鶴の気持ちも、自分の気持ちもわからない。
 でも今はそんな事考えたくもなくて、頭なんか使いたくなくて、ただしたいと思う事だけをしていたくて美鶴の口を塞ぐ。
 好きなんだから、だからキスしたっていいだろう? だって、聡だって同じような事をしていたワケだし。ひょっとしたら、それ以外にももっと。
 もっと?
 胸が苦しくて、熱くて、掻き毟りたくなる。
 キス以外にももっと? もっとしてしまってもいいのだろうか?
 瑠駆真の片手が胸元に当てられる。
 音を立てて美鶴が息を吸う。咄嗟に上げられた右足は虚しく宙を空振る。
「同じ手に二度も引っかかるほど、僕は馬鹿じゃない」
 意地悪く笑う瞳が艶っぽい。十分色っぽい自分の瞳の魅力を、本人は果たしてどこまで理解しているのだろうか?
 無意識にそこまでの魅力を放つ事のできる相手を憎らしく思い、このまま何の抵抗もできないのかと絶望感が美鶴を覆った時だった。
 聡の時ほどではなかったと思う。だがそれでも激しい音であった事には変わりない。痛そうな音だった。無害だった美鶴ですら、どこかに激しい痛みを感じたように錯覚する。
 そんな、鈍く激しい音と共に瑠駆真の力が離れる。
 ワケがわからず放心する身体を、誰かが瑠駆真の下から引き摺りだす。
 誰だ?
 問う前に、頭上から声。
「何て事をっ!」
 怒りでそれ以上は言葉も出ないらしい。
 見ると、美鶴を抱える両腕が少し震えている。黒くしなやかな指先。
 黒い指先?
 見上げる先では、整った顔立ちを歪めるメリエムの瞳が、真っ直ぐに少年を睨んでいる。
「我を忘れるにも程があるわっ!」
「メリエ、ム」
 後頭部を抑え、床に蹲りながらも必死にこちらを振り仰ぐ。
「どうして?」
「言っておくけれど、連絡はしたわ。何度もね。携帯に出なかったあなたが悪いのよ」
 知っている。昨晩から煩いほど携帯が反応していた。だが瑠駆真は無視していた。メリエムからの電話など、基本的には出ないでいる。
 後で留守電を確認すればいい。
 本当は、今日学校で、休み時間にでも留守電を聞くつもりでいた。だから知らない。メリエムが今日、ここに来るなんて事は知らない。
「日本に来ている事は知らせてあったはずよ」
「でもこっちに来るなんて、聞いてない」
 ようやく状況を理解し始め、後頭部の痛みも引き始めた。身を伸ばし、立ち上がる。
「予定が変更になったのよ。学校へ行ってるはずだと思ってたから、とりあえず携帯に連絡して留守電を入れておいたうえで入らせてもらったわ」
「勝手に他人(ひと)の部屋に入るなよ」
「中にまで入るつもりはなかったわ」
 言いながら振る片手には、小さな紙切れ。
「念の為に入り口にメモでも挟んでおこうと思ったの。ポストだと他の郵便物に紛れちゃう可能性があるからね。部屋の中からひどい物音さえしなければ、開けて入ったりはしなかったわ」
 そうして、美鶴を抱える腕に力を込める。
「結果的に、入って正解ね」
 改めて瑠駆真を睨む。
「我侭なのは知っていたけれど、ここまでとはね。これは立派な犯罪よ」
「日本の司法になんか詳しくもないクセに」
「万国共通よ。何だったら警察で確認してみる?」
「うるさいっ」
 叫ぶと共に足で床を叩く。
「お前には関係ない」
「保護する立場にある者として、無関係ではないはずだわ」
「保護してくれと頼んだ覚えはない」
「保護されなければ何もできないクセに」
 羞恥が全身を覆う。美鶴がいなければ殴りかかっていたかもしれない。







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